「パパラギっておかしいね。」
「おかしいよね。」
子どもたちはそう言うけど、私はなんだか複雑な気持ち。
だって、私たち自身がパパラギなのだから。
この本を読んで、私が特にドキッとしたのは、知識についてというお話の一文。
ー考えること、考えたこと、知識。これがパパラギを虜にしている。
彼らは自分の知識に酔っているようなものだ。ー 本文より抜粋
私は無知の知を自覚するあまり、自分の知識の陳腐化を心配するあまり新しい情報や知識を積極的に頭に叩き込む。
パパラギの高齢な男性がメイン構成員を占める、この国の政府も就業人口の更なる減少の対策の一つとして生涯教育を推奨。
リカレント教育(社会人の学び直し)も盛んだ。
私は知りたいという欲が強いため、何の疑問もなく学びを続けていたけれど、そもそも知識を詰め込むことで、自然にものを感じることができなくなっていたら本末転倒なのだということに今更ながら気づかされた。
この本の内容を語った、100年前の南太平洋・サモアの島の族長ツイアビは今の私たちを見てなんと伝えるだろう。
今のパパラギについて、ツイアビになったつもりで自分なりに書いてみる。
パパラギはスマホという小さな四角い機械をいつも見ている。
歩くときも 知識を得るために 目の前の大切な人に向き合わず、食事中も情報というものを見ている。
目の前の人を大切にすることよりも大切なことがあるのだろうか。
パパラギは通勤という移動をする。 パパラギは日が出ている間、家の近くでは過ごさない。
ここ数年は、家で仕事する人も増えたのだが、ここ最近は、出勤という移動を毎日するパパラギがまた増えてきた。
大人になる前のパパラギは通学、大人のパパラギは通勤というものを毎日飽きもせずしている。
本当は止めたいのに、機械のように時間になるとまた移動する。
パパラギの住む場所は多くのものであふれている。
自分で手に入れたのに、ものであふれてしまって、断捨離というものをする。
パパラギはパラギが作り出したものを捨てると幸運が舞い降りるそうだ。
機械で作り出したものに愛情が持てず、次々とものを手に入れて不幸になるパパラギ。
初めから、自分が本当に大切だと、愛情を感じるものだけを持てばいいのに。
100年前 プラスチック製品もなかった時代に書かれた本 今の状況を見たらどう思うかな。
この本に書かれていることは、SDGsに通ずる内容でもあり、(行動に移せるか、2030年までに実現できるかはまた別問題だが)現代ののパパラギが100年前のツイアビの考えを理解し始めているとも言える。
SDGsの基本理念「誰一人取り残さない」という言葉やここ数年で広がってきたシェアリングエコノミーに通ずる内容も書かれていた。
ツイアビに先見の目があるのか?単に本質的なものを、パパラギである私達が新しい概念として気づいただけかもしれない。100年前の本に一部でもその内容が書かれていたということから、物事の本質を知っていたのはツイアビなのは明白だ。小さな意見を多様性の中で生かすことの重要性にも改めて気づいた。
今はまだ、自分がパパラギたと気づいていない我が家の小さいパパラギさんたちと数年後にまた読みたい。
タイトル:パパラギ
翻訳:岡崎照男さん
イラスト:早川世詩男さん
出版社 : 学研プラス
発売日 : 2021/7/1
読むと都度考えさせられる本。自己責任論への批判も書かれていて、現代を生きる日本人もドキッとするはず。