「それであなたはいいの?」
私がこの絵本を読んで、主人公に抱いた感情です。
主人公の牛は、もうすぐ人間に食べられるために殺される運命の牛。
書店のポップで評判が高いと書いてあり読んでみたのですが、私にはこのぼく(主人公の牛)が、人間に都合良く解釈された牛に見えました。
人間に食べられてしまう運命を素直に受け入れているぼく。
あまりに従順すぎませんか?
擬人化された牛を受け入れられない自分の感性に問題があるのかもしれませんが・・・
逃げ出したいはずなのに、殺されるために、食用牛としての使命を全うするために、電車に乗って育てられた牧場に戻ることに、私は違和感を覚えました。
母親に最後に会えたから、人間に押し付けられた自分の運命を受け入れるってこんなに都合のよい生命があるだろうか。
戦争に行く前の徴兵された若者と母親の状況にも近く見えてしまい、個人の感情より組織の理屈が強い構造が絵本に反映されていることににモヤモヤしました。
食べ物を大切にするというのは人間ができる最低限のこと。
食べ物を大切にすること、環境に負荷をかけない食の製造は良いことであると個人的には思っていますが、食べ物が製造される工程で多くの動物の命が失われているという事実自体は変わりません。
食べ物を大切にすることというのは、食べる側のせめてもの気持ち、心構えに過ぎない。
そんな気持ちがなくても、自然の動物は手に入れた食べ物を無駄なく、残しても残りを食べる動物がいるため結果的に無駄なく食べることができます。
フードロスは野生動物より人間の方が圧倒的に多い。
話がそれてしまいましたので絵本の内容に戻りますが、
ぼくのお母さんである雌牛も、ぼくが育った牧場から逃げ出しても文句は言わないでしょう。
私がぼくのお母さん(母牛)だったらぼくに育った牧場に戻るのではなく、どこかへ逃げて欲しいと思う。
命を大切にするとは何か?
一度限りの人生を全うするとはどういうことか?
運命に抗って逃げ出すことが自分の一つしかない命を大切にすることになることもある。
タイトル:もうじきたべられるぼく
出版社 : 中央公論新社
発売日 : 2022/8/9
言語 : 日本語
単行本 : 36ページ
子どもと一緒に読もうと思って手に取ったのですが、子どもと読もうとは思えず自分で読んで終わりにしました。
逃げてもいいじゃない。